美作国(みまさかのくに)エリア(岡山県北の地域)の中心、津山は江戸時代後期から明治初期にかけて、宇田川家や箕作家をはじめとした日本の近代化に貢献した優秀な洋学者を輩出しています。
江戸時代の日本は「鎖国」政策によって、海外との交流を厳しく制限していました。西洋諸国のうちで交流のあったのはオランダだけで、オランダ語を通してしか西洋の学術に触れることができませんでした。オランダ(和蘭)語を使って研究する学問であることから「蘭学」と呼ばれていました。
幕末に開国してからは、オランダ語以外の英語・フランス語などが入ってきます。西洋諸国の学問という意味で「洋学」と呼ばれるようになりました。
西洋諸国が植民地を求めて、アジアに進出していた時期であり、植民地政策に対する危機感から、研究分野も医学などの自然科学中心から、応用化学・社会科学へと広がりました。そのような状況のもと、江戸幕府が倒れて明治になり、日本の新しい時代が幕を開けました。
江戸時代後期から明治にかけて、日本の学問を牽引したのは津山の洋学者たちであったと言えるでしょう。




































